ダンカン・タッカー『トランスアメリカ』

やはりブリー(フェリシティ・ハフマン)が
手術前だということが重要だと思うわけですよ。
自分の存在の矛盾がそこに集約されるようなモノ、
カントの言う物自体でしょうか(我ながらお下品な駄洒落ですな)

関係ないけど『遊星から物体X』は原題が『The Thing』なんですよね。
あってはならないモノが存在してしまうことの恐怖、
一見全く違うかに見える二つの映画の意外な共通点です(笑)

しかしこのモノは醜悪なだけのモノではない。
絶えずその存在に怯え、必死にそれを乗り越えようとする思いが
彼女の強さと高潔さを支えてもいるわけです。
カルヴィン(グレアム・グリーン)との美しい恋、
性器を超越した語の本来の意味でのプラトニックラブは
彼女の性器の存在ゆえに成立しえたわけですね。

そして、いま一つの息子(我ながらお下品な駄洒落ですな)もまた
自分の存在の矛盾を絶えず突きつける者です。
手術でぶった切ることもできないその者を
ブリーは最初は嫌悪しながらも受け入れていくのですが
しかし彼は者であってモノではなく自分の意志があります。
和解こそがこの映画のテーマなのかもしれませんが、
邪魔なモノを取り払った喜びと、愛する者が去った後の喪失の痛みが同居する
風呂場のシーンこそが最も美しい。
その(トランスな)両義性の痛みに耐えつつその中に光を見出すこと。
それ以外に現在における救いなどと言うものはないんですよね、たぶん。


ちょっとケチもつけると。
オカマの息子が男娼をやってるって設定はなぁ…
不必要な上に変な誤解を招くよね。
そこまでバカな観客はいないかな?いないといいけどね。