キャピタルから遠く離れて

安いツアーなので成田を19時に出て夜中の1時にバンコク着。
7時の成田よりも1時のバンコクの方が明るいです。当然かな。
でも驚いたのはバンコク市内の直線の長いこと。
日本だったら北海道くらいにしかないんじゃないか
って思うような長さの道路がまっすぐ光っててびっくりします。

それだけの長さの道路を引いたって言うことは
それだけ多くの邪魔なものをどかしたということではないのか?
なんて考えちゃうところが左翼です(笑)
来る前に柄谷行人の『世界共和国へ』とか読んでたからでしょうか。

んで、ツアーで田舎の遺跡に行ってきたんですが、
バンコクから1時間くらいバスの外の風景を眺めてるのが楽しかったです。
郊外はガンガン開発されてってるんですが、
段々建物が低くなってって、住宅が工場になって、工場が農地になる。
恣意本主義の同心円状に広がって
段々波紋が弱くなっていく様子がモロに見えます。
僕が(日本人の目から見れば)安い料金で観光してるのも
その広がった輪の外側から吸い上げられてきた
(古い用語で言えば「搾取」されてきた)資本のおかげってわけですよ。

しかし、行き帰り2時間ぐらいずーっと眺めてましたが全然飽きないです。
暑いから犬も人もみんな寝てて
何だか意味のわからない工業製品を作ってる工場があって
うず高く積まれた廃材は周りの水を真っ黒にしてるんだけど
その5m先にはバラックが建ってて人が住んでいる。
ちゃんと耕された田んぼの中に廃棄されて
半分林になりかけた田んぼが点在している。

って説明しようとしてもやっぱり書けないですねぇ。
一つ一つの風景のつながりが、
自分が当たり前だと思ってるものとは全然違ってて
ホークスの映画でも観てるようなスペクタクル感です。

バンコク市内はほとんどタイ語と英語が併記されてて
「タイって都会だなぁ」なんて思ってたんですが
一歩バンコクを出ると看板も全部タイ語になっちゃうんですね。
よく考えるとあたりまえなんですが。
タイが都会なんじゃなくてバンコクが都会なわけです。

日本語でもフランス語でもなくなぜ英語なのか。
なぜ僕はタイ語は読めないのに英語の表記だとある程度読めるのか。
それはつまり英語が世界標準の資本主義システムの中に僕も住んでいる
という当たり前の理由です。
当たり前ですが普段は中々意識しない。
こういうとこにくると、自分がカタコトの英語が読める日本人である
ってことを思い知らされますね。
搾取されてんのは僕も同じってことです。
倒すべきブルジョワジーはいませんが(笑)

何度も書きますけど、僕はそういう風景に強く惹きつけられます。
ホークスの映画みたいな風景といいましたが
ホークスの映画が資本主義的だからということでもある。
近代芸術のダイナミクスって基本的に資本主義の模倣なわけで、
アートが好きってことは資本主義が好きってことなんですよね、結局。
柄谷だって文芸批評家ですし。
マルクスだってすごく資本主義に惹かれてたんじゃないでしょうかねぇ。

じゃあアートの本分はどこにあるかって言ったら
資本主義を模倣しつつ、いかにそれをずらせるか、
ってことにかかってるんじゃないかと思います。
どうやったらいいのかは知らんけど。

つづく(予定)