小津安二郎『東京物語』

こんなものをスクリーンで観てしまうと…
なんだか知らんけどへこんでしまいますねぇ。
20世紀後半の芸術なぞ全て無意味だったんじゃないか
なんて気になってしまいますねぇ。嘘ですけど。」

原節子なんて足は太いし、変な唇と鼻だし
実際にはそんなに綺麗な人なのかしらって思うんですけどね。
だけど「お父さま」なんて言いながら下駄履きで小走りに駆ける姿を見ると
なんて美しい人だろう…ってため息が出ちゃいます。

まぁそんなことは置いといて。
きっちり最初から筋を追っていくと、
紀子(原節子)って実は最初は何者かわからないんですね。
周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)夫妻とは
どうも親子でもないけど他人でもないみたいだ
くらいのことしかわからなくて、
彼女のアパートで戦死した次男の話をするとこで
初めて次男の奥さんだった人らしいということがわかる。

そのアパートの直前のシーンでは
紀子の隣人が洗濯物を畳んでいるショットが何の説明も無しに挿入され
その部屋に紀子が来ることで紀子の知人であることがわかり、
紀子がその部屋を出て隣の自宅に戻る描写で
先の女性が隣の奥さんだったということがわかる。

まず人物を登場させておいて
後からその説明を試みるというスタイルになっているわけです。
そもそも物語自体、なぜ主人公夫婦が東京を訪ねるのか、
ということについての説明はされないまま話は進み、
最後になって「虫の知らせだったんだねぇ」
という説明が加えられる、という按配なのですね。

当初、のほほんとした家族に見えた平山家も
内実は意外とギスギスしていることが次第に明らかになるし、
旧友と三人で飲み明かすシーンでは
楽しい気分と暗い気分が微妙な形で入れ替わるし、
孫はお祖母ちゃんを嫌ってるんだかなついてるんだかよくわからない。
家族の非常に微妙で複雑な感情と関係が
一挙に示されるのではなく、
二時間かけて徐々に露になっていくのですね。


唐突ですが。
ヒストリー・オブ・バイオレンス』の冒頭のシーンは
長回しとその凄惨さでで強烈な印象をつけた後で放置され
数十分経ってからようやく説明が加えられれます。
トムは「徐々に」ジョーイの亡霊に侵されていきますし
ザ・フライ』のセスは「徐々に」ハエ男になります。

小津とクローネンバーグ、
イメージは全然違いますが意外なところで似ていたんですね。