ハワード・ホークス『モンキー・ビジネス』

冒頭からバーナビー(ケーリー・グラント)がマッドサイエンティストっぷりを発揮し、
エドウィナ(ジンジャー・ロジャース)も愛らしい奥さんっぷりを振りまいて
二人の掛け合いは軽妙かつロマンティックでうっとりしていまいますが、
この夫婦が主人公であるにもかかわらず
若返りの薬で子供になった二人の引き起こすドタバタ劇であるこの映画で
この最初のキャラクター設定はほとんど何の意味ももっていません。

科学者が主人公で新薬が物語の引き金だと言うのに
主人公は物語のトリガーとなることが出来ずに
チンパンジーがたまたま作った薬の効果に
全ての登場人物がただ巻き込まれるばかり。

しばしば「機械」に例えられるホークスの映画ですが
全ての要素が歯車が噛みあうかのように作動するのが面白いのではなく、
血が通っている(かのように見える)キャラクターや
ロマンティックだったりやたらと楽しげなエピソード
といった魅力的な細部が、なぜか意味不明のシステムによって
意味不明な物語の中に組み込まれてしまうからこそ
なんだかよくわからないけど面白い映画になるわけです。

最初の設定の話に戻れば、
主人公夫婦のキャラクター設定は
それだけで一本の映画を作るのに十分なものであるにも関わらず
その二人はなぜか子供にさせられてしまって
最初の設定はほとんど無意味になってしまう。

一つ一つの要素を見れば、
普通の映画の細部として使われてもよさそうな細部が
なぜか普通の映画にはならずに
わけのわからない映画の歯車の一部として
考えられないような要素と組み合わされて
その全体がありえないような映画機械を形作っているのです。


どうでもいいけど。
10年ぶりくらい(そんなでもないか?)に観たけど
全然モンローの映画じゃなくて、彼女は端役なんですよね。
なんでそう思ってたんでしょう。
ジャケがモンローだからかなぁ。