小谷野敦『もてない男』

なんでこんな本を読んだのかと勘繰らないように。理由は秘密。

寄ってくる異を適当に相手にして満足できるのが恋愛上手な人間であり、高い理想を求めて、これに叶わない異性は相手にしない、がために恋人の不在に苦しむというのが恋愛下手な人間である。

前書きの中の一文です。
11日の日記で「手近にいた女」が「取り替えの利かぬ我妻エディ」になる
というようなことを書きましたが、
小谷野が言っているのは、誰もがそんなことができるわけではないということ。

「恋愛なんてただの錯覚で運命の女なんてのは思いこみだ」
というようなある種の還元主義と、
「恋をすると人は誰もが世界の中心で…」
みたいなロマンティシズムがあって、
「ただの女(還元主義)」を「運命の女(ロマン主義)」
に変換することは可能だ、というのが僕の考えなのですが
それは常に成功するわけではない。

はてさてまた話は音楽に飛びますね。
20世紀半ばに、全ての音はサイン派の合成である、という考えに基づいて
シュトックハウゼンとかがいろんな実験音楽を作りました。
もう一つ、ノイズも含めて全ての音は音楽になるうるという考えで
ケージらが色んな作品を作りました。
この二つは言うまでもなく上の還元主義/ロマン主義に対応します。

今日の教訓は全ての音楽も全ての恋愛もその中間で起こるということ。
誰もが音楽を作れるなどと考えている人はあまりいないと思いますが
それと同じく誰もが恋愛できるわけではない、と小谷野はいいます。
還元主義とロマン主義(言うまでもなく正確な用語ではありませんよ)
の中間を生きられる人もいれば生きられない人もいる。
そこに一種の選別のシステムが働いているはずなのですが、
その選別のメカニズムはちょっとよくわからない。

僕が一番知りたいのはそこなんですけどね。
僕は恋愛でも音楽でも中庸を生きられないようなので(笑)
そこを軽々と生きてる人々が不思議でしょうがないのですよ。