デヴィッド・クローネンバーグ『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

ダイナーの店主で良きパパでもあるトム(ヴィゴ・モーテンセン)の前に
ある事件をきっかけに彼を「ジョーイ」と呼ぶマフィアが現れる…というお話。

トムと妻のエディ(マリア・ベロ)が
「トム・ストールって名前はどこで?」
「手近にあったIDさ」
「じゃあ私も手近にいた女なのね…」
という会話を交わします。

ではジョーイ・キューザックという名前は違うのか。
ジョーイとは両親が適当につけた名前であり、
キューザックだって何百年か前の先祖が適当につけた名前でしょう。
別にエディじゃなくても誰の奥さんだって
最初は「手近にいた女」に決まっています。
手近なIDが何年もの時を経て「他ならぬトム」になり
手近な女と何年も暮らすうち「他ならぬ妻エディ」になるのですね。

悪趣味な死体描写は蛇足に見えますが、
ほんの10秒前まで「他ならぬフォガティ」だった男が
一瞬にしてただのモノと化す瞬間の描写として
醜悪な死体の描写が必要だったのでしょう。

再びジョーイとなってしまった彼は家族の信頼を失い、
いわば20年かけて築き上げてきたトムという名を失いかけます。
生まれてからジョーイとして過ごした時間が
そう簡単に消せるものではなかったのと同様
トムとして築いてきた時間もそう簡単に壊れるものではなく
すばらしいラストシーンにおいてその二つが重なります。
彼はこれからジョーイ=トムとして生きていくのでしょうか。


関係ないけど。
本筋と関係ない息子の学校での暴力沙汰が
かなりの時間をかけて描かれているのに見るとおり、
ここで描かれるのはトムの暴力だけではありません。

とてもいいオッサンである保安官のサムの
この街を守りたいという善意も一種の暴力として働いています。
フォガティ(エド・ハリス)らに対する排除に繋がり
その感情は今後トムに向けられる可能性を残しているわけです。
やっぱりクローネンバーグって悪趣味です。