黒沢清『地獄の警備員』

黒沢清という人は「拠って立つものがない単独者」
みたいなのが好きで、そういう人をよく出してくるんですけども
大体はそういう人を肯定的に描いているのに対して
この映画における単独者、富士丸(重松豊)は普通に悪役で、
その意味ではけっこう異色の作品かなぁという気がします。
(全部観てるわけじゃないから知りませんけど)

富士丸は成島(久野真紀子)に
「俺にはお前とは違う時間が流れている」と言います。
『回路』の幽霊?や、『CURE』の萩原聖人のような
別次元に生きる化け物の譜系なわけですが
彼らが対話がほぼ成立しない化け物であるのに対し、
富士丸は一応の対話が可能で、
コミュニケーションを求めてすらいる。

タクシーの運転手とも、久留米課長(大杉漣)とも
正常な関係を取り結ぶことができない成島や
車内のアウトロー兵藤(長谷川初範)にしたところで
周囲とクロックが合わない単独者であることには変わりない。

他の黒沢作品であれば、単独者同士の対話は
肯定的に描かれるわけですが、
ここでは対話をしながらも和解に失敗し、
異物として排除されるわけでもない、
端的なコミュニケーションの失敗が描かれるのみです。
ホントにわけがわからない映画です。


薄汚れた装飾、空間把握、暗さ、
どれを採ってもあのビルの空間を生かしきっています。
ベロッキオもこれくらいあの部屋のセットを生かせれば
(最初の10分にはその萌芽があったにもかかわらず)
『夜よ、こんにちは』はあと3倍面白くなったんですけどね。