テクノロジーと創造性 その2

ちょっと間が空いたけど、この前↓の続き。
http://d.hatena.ne.jp/wbnt/20060419#1145435711
いつものごとく結論は出ません、たぶん。

J.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集』は、
平均律と訳されているけれど、厳密には
「ほどよく調律されたクラヴィーアのための曲集」
なのだという話を聞いたことがあります。

バッハは正確には平均律を使っていなかった、
様々な調律法が平均律に収束する過渡期にいたのですね。
ここら辺りに、バッハが西洋音楽史上最も偉大な作曲家
と呼ばれる秘密があるような気がするのです。

前にも書いたように、
テクノロジーが作曲方法の大部分を規定してしまうのですが、
そのテクノロジーの持つ可能性と限界があらわになる
クリティカルポイントがあると思うのです。
(もちろんそのポイントは複数あるでしょう)

作曲における創造性とは、
そのポイントを正確に捉えることができるかどうか、なのではないか。
バッハは平均律のクリティカルポイントを正確に捉えていた、
と言うよりは、彼は平均律が成立する過渡期に居たため
そのようなポイントに必然的に立たされていた、と言うべきでしょうか。
だんだん柄谷行人みたいになってきたな(笑)

もちろんバッハと同時代の作曲家が
全員そのようなポイントに敏感だったわけではないので、
それを捉えることができたバッハは偉大だった
ということに変わりはないわけですが。

菊地成孔大谷能生東京大学アルバート・アイラー』では
平均律、バークリーメソッド、そしてMIDI
音楽史におけるトピックとしてあげていました。
この3つ目、MIDIが成立する過渡期において
もっともラディカルな方法で音楽を作ったのが
80年代の坂本龍一だと僕は思ってるわけです。

さて、ここまで書いたら
平均律MIDIのクリティカルポイントにおいて
バッハや坂本が具体的に何をしたのか、
を書かなければいけないわけですが、
残念ながらそこまで考えて書いておりませんので(笑)
それは今後の課題ということで誤魔化しつつ、今日はこれでおしまい。