音楽にとって美とはなにか

僕がとても尊敬している作曲家である
三輪眞弘さんの講義を聴いてまいりました。
以下は「三輪さんの話を聞いて僕が考えたこと」なので
正確に三輪さんの話ってわけではないのでご注意を。

とか言いつついきなり自分のことから書きますが、
僕はコンピュータ・アルゴリズムを使って曲を作るんですね。
で、その時の悩み事が二つあるのです。

一つは、せっかく一生懸命考えたアルゴリズムが、
音を聴いただけでは中々伝わらないこと。
この曲がどういう風に出来ているのかわかれば
もっと楽しんでもらえるはずなのにな、っていつも思うのです。

もう一つは、一生懸命考えて作ったアルゴリズムから
あんまり綺麗な曲ができないこと(笑)
修行が足りないっていうのとセンスが無いのと
たぶん両方なんでしょうけどね。
何度も言ってますが、僕は「音楽はセンスでやるもんじゃねえ!」
って思ってるので。

三輪さんもアルゴリズムで作曲をするんですが、
僕のような悩みがない(のかどうかは知らないけどそのように見える)
まず、アルゴリズムの解説をばっちりやる。
「聴く人がアルゴリズムを知らないことを前提にしたりするんですか?」
と、質問したんですけど「していない」とのこと。
い、潔い!さすがだ。

三輪さんは「はたして音波=音楽なのか」と言ってて、
どのような過程を経て音が発せられるか
ってことまで含めて音楽なのではないかと言ってるんですね。
上の話でいくと「解説まで含めて作品」になるので、
観客がアルゴリズムを知らないなんてことは前提にしなくてもよい、と。
おそらく「音波としての音楽」を否定するものではないんでしょうけど
音楽ってのはそこに限定されるようなもんじゃないよってことですね。

二つ目の綺麗な曲ができない、ってことについても
今回三輪さんが聴かせてくれた曲ってのは
初期値を決定すると曲の構造が全て決まってしまうもので
響きや構成を決定する際に
作曲者の美意識が介入する余地がないのですね。

しかしこれが美しくないかって言ったら
もう、崇高なまでに美しいのですね。
響きもリズムも全然綺麗じゃないし、
構成に工夫も見られない(当たり前だ)なんですけど、
人間の想像力の極北を見てしまった驚きですね。

三輪さん自身が言ってたことなんですが
「動物園に行くと、なんでこんな生き物が?
って思うような動物が必ずいる」と、
そいつを見て僕らは単に驚くだけじゃなくて
そんなモノが存在してしまうことの崇高さに打ちのめされてしまう。
音楽にとっての美は綺麗な音やかっこいいリズムだけではないのですね。