レオス・カラックス『ボーイ・ミーツ・ガール』

ルルーシュ、ガレル、カラックス、あたりから
オゾンに至るようなヌーヴェルヴァーグ後のフランス映画
(って一括りにするのもどうかとは思いますけど)
が僕はどうも苦手(嫌いってことではなく)なのですね。

↑の人たちの映画って、いいと思うのもあるんだけど、
とにかく観ると疲れるのです(笑)
『ポーラX』は映画館では爆睡し、
最近、レンタルで再挑戦したんですが、途中放棄しました。
ヘタレです、はい。

この『ボーイ・ミーツ・ガール』も
途中1時間までは僕をヘトヘトに疲れさせます。
つまらないから疲れるんでは決してないんですけどね。
徹底して主観的に撮られた画面だからかなぁと思います。

主観的と言えば、ヴェンダースの撮るロードムービーだって
主人公の心象が投影された画面なんですけど、
それを超えた風景の物質性の方が迫ってくるんですよね。

対して、カラックスの映画はと言いますと、
ヘッドフォンしながらキスする男女を眺めるシーンなんて
構図も光もバッチリで最高にカッコいいんですけど、
その画面がカラックスの主観を超えて迫ってくることがない。
だからダメだということじゃなくて、
そのように撮ってるからだと思うんですけどね。

そんな画面が1時間続いた後、主人公アレックス(ドニ・ラヴァン)は
ミレーユ(ミレーユ・ペリエ)と出会うんですが、
『ボーイ・ミーツ・ガール』と言うだけあって、
この後がこの映画の白眉で、圧倒的にすごい!

自意識過剰なくだらない戯言を延々と喋るアレックスを、
ミレーユの正面ではなく横に置くのですね。
そのことによって、アレックスの話を聞きながら
キョロキョロと定まらない視点のミレーユの
すばらしく美しい表情を観ることができます。

そして、アレックスの入ってくるドア側からはじまり、
ぐるっと一周回ってミレーユにつきささるハサミを写して終わる
衝撃的で切ないラストショット。

これ、普通だったらありえない画面だと思うんです。
この映画が、自然な構図を無視した
カラックスの徹底した主観描写だからこそ撮れた画面なのですね。
これが撮りたかったがためにそれまでの1時間があったのかな、
なんて思ってしまうほど。

もしかして『ポーラX』も最後まで観てれば
この映画みたいに、すごく面白かったりするんでしょうか?
それにしちゃ長すぎなんですよね、あの映画。