ジョージ・キューカー『フィラデルフィア物語』

ヘプバーンと聞いてオードリーを思い浮かべる人は映画好きではない
と、蓮實重彦が言ったとか言わなかったとか。
なんと厭味ったらしい言い方かと思いますが、
こんな映画を観てしまった日には、オスだったら誰でも
キャサリン・ヘプバーンに恋をしてしまうと言うのも確か(嘘)
まぁ僕はオードリーだって好きですけどね。

美しく、頭が良く、自由奔放で、
おまけにさっきまでえらく勝気だった女が、
図書館でいきなり「あなたの書いた本は素敵ね」
なんて言ってきた日にはどうします?
僕はこのシーンで、ゴクリと唾を飲み込んでしまいましたよ。
たとえ話でなく、本当に。

どうして彼女はこうも魅力的なのかって
キャサリンが絶世の美女だからではないはずです。
個人的には、顔の好みで言ったらオードリーですし。
(はい、僕の好みなんてどうでもいいですね)
言うまでもなく撮り方が問題なわけです。

基本的に会話劇ですから、
人物の撮り方が問題になってきます。
二人がしゃべってるときは、二人を中心に。
もう一人が割り込んできたら、わずかにカメラを動かして
三人を捕える位置に微調整。それも、ごく自然に。
二人の会話からどちらかが立ち去る場合は、
一人になっても不自然にならないような構図に
あらかじめ計算されています。

蓮實が言うところの「正しいイメージ」が、
キャラクターたちの表情を輝かせ、
それによって会話も生き生きとしてくるわけですね。

僕が今の映画を観てて疑問に思うのは、
構図とかカメラ位置をきちんと考えるというだけで、
ここまで映画が面白くなるのに、
なんでみんなやらないんだろう、って話です。

1940年のハリウッド映画のような画面を、などとは言いません。
でも、ジョン・カーペンターとかエドワード・ヤンみたいに
それを現代的な形で実践することは可能だと思うんですけどねぇ。