ジャン=リュック・ゴダール『彼女について私が知っている二、三の事柄』

表面上の形式は全然ちがうんですが、
テレンス・マリックゴダールは、意外と似たことをやってます。
物語の中に「世界」を招き入れる、という手法です。
彼らの映画は紛れもなくフィクションなのですが、
物語に自足せずに常に世界に対して開かれています。
っていうより、彼らの映画は世界そのものです。

天国の日々』を3分も観れば、
その映像のものすごさに圧倒され、
マリックと同じような映画など誰も撮れない
ということが嫌でもわかるでしょう。

それに対しゴダールは、そこら辺にあるありあわせの素材を
勝手に組み合わせて映画を作ってしまいます。
自宅の周辺と自分の映像だけで『JLG/JLG]』(Jean Luc Godardの略)
などというふざけた映画を作ってしまうような人です。

ゴダールの映画を観てると、
「自分でも同じようなことができるんじゃないか」
って思ってしまうから不思議です。
もっと不思議なのは、残念ながらそんなことは誰もできず、
ゴダールは相変わらず唯一無二だということです。

男の僕ですらドキドキしてしまうような
囁き声のナレーションは、ゴダール自身のもの。
その難解な内容に意味がないとは言わないけれど、
コーヒーの映像とあまり関係がないことは確かです。
ナレーションの内容と、物質としての声、
コーヒーというものの観念と、その映像、
という、全く関係ない四者が並置されています。

全く関係ないにも関わらず、
その四つの組み合わせは決定的だと思わせてしまう。
洋服屋の店員と話していたマリナ・ヴラディが、
不意に観客に語りかけるように、
ただのコーヒーが「世界」のデタラメぶりを身にまとって
僕のハートを不意打ちにするのです。恐ろしいですね。