角田光代「まどろむ夜のUFO」

石川忠司は、小説は内言+描写で出来ている
みたいなことを言っていたんだけど、
角田の小説は、描写がちょいとわかりづらいのに対して、
思考プロセスが圧倒的に面白い。

角田の登場人物の内言は、一見普通なのだが、
思ってることとやってることが微妙に一致しない。

今ここにいてどう見てもくだらないバラエティ番組を夢中になって見入っているのは、たとえその顔の中に見慣れた幼い表情が現れていたとしても、あのタカシとは別の人格を持った十八の男の子なのだ。「まだUFOなんて信じているの?」とこの私に訊くような。そう自分に言い聞かせてコーヒーを飲み干した。

最後の分は、心で思ったことではなく行動です。
そして、この文の『言い聞かせて』によって、それまでの内言が裏切られる。
内面を吐露するように見せかけておきながら、
実はそれは『言い聞かせて』いただけでした、
ってな感じで、思ってるのか思ってないのかわからないような
どっちつかずな感情のまま宙吊りにされるわけですね。

小説全体もだいたいそういう感じでできていて、
サダカくんとの関係が嫌になったというようなことは
一言も書かれていないし、露骨には臭わされてもいないにもかかわらず、
主人公『私』の行動を見るかぎり、
整理好きで聡明なサダカくんとの友情から離れて、
タカシや恭一の電波に徐々に感染していくわけです。

それが内言によって明確にしめされないとこがミソでして、
サダカくんとの友情が終わったということでもないし、
恭一たちと同じような電波な人になりきってしまったのでもない。
主人公の人格の輪郭が、読めば読むほどぼやけてきて、
その中途半端なところが魅力的なわけです。