ヴィム・ヴェンダース「リスボン物語」

『映画は今も発明された100年前と同じ力を持っている』
というセリフによって、
映画に対する楽観的な信頼を告白して終わるんですが、
ともあれ、この時期のヴェンダースが、
そんなことを本気で信じていたとはとても思えず、
心情としては、ウィンター(リュディガー・フォーグラー)より
フリッツ(パトリック・ボーショー)に近いところがあって、
上のセリフも苦し紛れに自分に言い聞かせるように
発せられたんじゃなかろうかと思うわけです。

ところで、トーキー以来の映画というものは
音+映像(ソニマージュですね)の組み合わせによって作られるわけですが、
映像の方では、新しい撮影技術が次々と発達していたり、
その一方で、ヴェンダースのように、映像の力を信じられずに
インポ状態になっちゃう人もいるわけですが(笑)
音についての思考は、ずいぶんとおざなりな気がします。

新しい映像技術の導入が華々しく喧伝される中、
音関係のニュースはあまり耳に入ってきません。
録音技術の可能性が追求されてないなんてことは言いませんけど、
映像と過不足なく調和する技術の追求
ってのが第一になっちゃってるんじゃないでしょうか。
(知らないので適当な推測ですが)

で、この映画ですが、ウィンターは録音技師という設定で、
マイク片手に街中を歩き回ります。
この音がすばらしいんです。
鳩の群れがバタバタと飛ぶ音とか、
屋上みたいなとこで、子供と一緒に遊ぶ音とか、
聴いててワクワクするような音がいっぱいあります。
音楽と朗読の使い方も、相変わらず上手いですし。

映画というメディアの媒介性を暴露する映画って、
なぜか映像の媒介性の線でばかり責めてくるんですよね。
しかし、この映画は音でもそれは可能だってことを
十分に示してくれたと思います。

ヴェンダースはこっちの線でいろいろやってくれたら
もっと面白くなると思うんですけどねぇ。
この分野は、ゴダールとか、わずかな人しか手をつけてませんから
広大な可能性が残ってるはずなんで。
「ミリオンダラー・ホテル」では、
その要素はほとんど追求されてなかったのが残念ですが、
改めてヴェンダースと音ってことを考えると、
未見だった「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が気になるところ。