ジョエル・コーエン「ファーゴ」

この映画はミニマルであり、同時に過剰でもある。
ミニマルな部分はと言えば、説明描写を極端に簡潔にしている点で、
フランシス・マクドーマンドと旧友の日系人の再会のシーンでは
二人がどういう経緯で、なぜ会うことになったのか
というような描写が完全に省かれていて、
二人は(電話の前フリはあったが)唐突に会い、ヤナギダは唐突に泣き出す。

過剰な部分はと言えば、実はこのヤナギダ氏、
ストーリーには何の関係もないキャラで、
もちろんこのエピソードも本筋には全く絡まない。まさしく過剰。

しかし、映画のラスト近くで、
ヤナギダの近況を知っている友人から
彼が神経を患っていることを聞かされる。
もちろんこの会話もストーリーとは何の関係もないが、
この時、意味もなく殺されていった人々の人生と
ヤナギダの人生と、マクドーマン演じるマージの人生が響き合い、
観るものに深い余韻を残す。

ヤナギダについての描写を最低限にとどめたことと、
エピソード自体がストーリー上無意味であること、
つまり、ミニマルさと過剰さによって
この余韻と感動が、最大限に高められていると言える。

ポール・トーマス・アンダーソンの「マグノリア」を観たとき
20秒ほどの描写でキャラの形象を表現しきってしまうのに驚いたが、
この映画で、バーテンのじいさんが警官と話した後、
雪かきをするシーンが2秒くらい写るのだが、
このじいさんの存在を画面に定着させるのに、
コーエン兄弟にとってはこれだけの時間で十分なのだ。
2秒ですよ、2秒。すごすぎ!