ジャ・ジャンクー「青の稲妻」

基本的には中国の19歳の若者の日常のお話です。
日本でそういうものを撮った場合には、東浩紀の整理に従えば
日常(想像界)と世界(現実界)が直結するかのような
つまり社会性(象徴界)が欠落した話になりがちで、
政治的なレヴェルを導入するのには
特殊な装置が必要だったりするわけです。

しかし、そこは中国ならではと言うべきか、
彼らの日常には不可避的に政治的なものが侵入し
彼らはそれに終始、翻弄され続けるわけです。

そこら辺の配置が絶妙で、
くだらないことで喧嘩していた二人が
オリンピックの開催地が北京に決まったニュースを見て
呆けて喧嘩をやめてしまうシーンでは
こっちまであっけにとられてしまいますし、
酒を飲むなとわめいていた母親が
軍に志願すると言ったとたん、急に優しくなって
これでも飲めと酒を持ってきてくれるところなんかは
こっちまで切なくなってしまいます。

主人公の男の子二人は、徹底して受身であることによって
世界に対して開かれているのですが、
女の子の方はもう少し能動的で、
じっと座って動かないビンビンの横を
恋人(名前分からん)が自転車でぐるぐる回るシーンに
この対比がよく表れてます。

そして、この映画で最も美しいのは
ラストの稲妻が光る中を走るシャオジィもいいのですが
「乗れよ」と言いながらバイクを走らせるシャオジィと
表情一つ変えずに無言でサッと飛び乗る
チャオチャオを捉えた移動撮影でしょう。
ラストじゃなくてこっちだと思うのは
僕がマゾだからでしょうか。