ペドロ・アルモドバル「パティ・ディプーサ」

アルモドバルだけど映画じゃなくて、小説なのです。
小説やエッセイもたくさん書いているそうな。

石川忠司舞城王太郎の小説を内言のエイタテイメント化と呼ぶ。

『「内言」の引きこもって鬱陶しい性格が物語の進行を妨害するならどうしたらいいか?話は簡単で、ならば「内言」や「内省」それ自体で物語をすべて語ってしまえばいい。…(略)…ここでは現実の手術につきまとっているであろう具体的な「困難さ」や「物質性」が捨象、観念化、内面化され、ひたすら文体のドライブ感のみに奉仕させられている。』

はてさて「パティ・ディプーサ」も
主人公パティの一人称スタイルだが
舞城の小説と同じく(…って読んだことないんだけど)
どんな出来事もパティが脳内でハッピーに変換してしまうため
舞城の小説のような(読んだことないけど)
ドライブ感に満ちた読みやすさを獲得している。

彼女は殺人鬼にレイプされようが、
ザコンのガキにオカマ呼ばわりされようが
常にハッピーに振舞っているのだが、
作者アルモドバルが登場してしまうような
あからさまなメタフィクションに顕著なように
小説の表面にアルモドバル特有の
神経症的な切迫感が満ち溢れてもいる。

んで、パティのドライブ感と
作者の擦り減った感じがぶつかったところに
無口で優しい男が
海老をプレゼントするエピソードなんかが挿まれると
なんだかこっちまでホロリときちゃうわけである。

今日は引用をしてみました。
ホントはもっと便利なんだろうなぁ