クリント・イーストウッド「ガントレット」

イーストウッドの映画は、
有無を言わさぬ圧倒的な説得力で観客にせまる。
説得力というのはリアルな感覚と言いかえてもいいが、
それは現実をリアルに描写しているからではない。

それがもっとも如実に表れているのが「ガントレット」だ。
映画史上に残る荒唐無稽っぷり。
バカバカしすぎて観るに耐えない人もいるだろう。

彼の映画のリアリティを支えるのは
現実性ではなく描写の的確さだ。
数百人の警官がバス1台に向けて撃ちまくる
という話の荒唐無稽さはどうでもよくて、
警官の間をゆっくりと進む
バスのアクション描写が全てなのだ。

話は飛んで、ちょっと前の日記の続きだが、
http://d.hatena.ne.jp/wbnt/20051022#1129974517
大きな物語の終わりに対するカウンターとして、
それに耐え切れずに、再び大きな物語を捏造する人がいる。
アメリカだとネオコン、日本だと新保守だが、
ブッシュや小泉的な『強さ』への志向は
言うまでもなく不安の裏返しである。
強さというより強がりと言った方が正しい。

本物の保守主義、本物の強さとは何か。
傷を見ない振りをするのではなく
傷をかかえたまま、弱さも悲しみも背負って立つことだ。
イーストウッドにおいて、そのような強さは
画面の隅々まで配慮の行き届いた繊細な演出によって支えられる。
これは角田光代の言う『みみっちさ』と
対立するものではなくつながっている感覚ではないだろうか。