ジャン=リュック・ゴダール「右側に気をつけろ」

ゴダールは運動神経がいいらしい、
などという話を聞いたことがあるが、
冒頭の、水泳の飛び込みのような格好で
窓から車に飛び乗るシーンの身のこなしなどからし
おそらく本当なんだろうと思う。おみごと。

このシーンに限らず、全編ギャグ満載である。
近年の映画でもギャグらしきものはあるのだが僕は全然笑えない。
まず、ギャグとしての意図があるのだろうか?なんて疑ってしまう。

最近の作品(だいたい「新ドイツ零年」より後)では、
物語を語ることの不可能性が前提とされた上で、
ばらばらになった映像と音が投げ出され、
それらの中から辛うじて新しい物語が立ち上がってくる。
そのような実験を繰り返している中では
物語が前提とされていないがゆえに
ギャグがギャグとして機能しないのではなかろうか。
(笑える人には笑えるのかもしれないけど)

んで、今回観て思ったのは、
『物語を語るものとして映画』っていうようなものが
この映画の時点では前提とされてたんじゃないかということ。

耳を切り裂くような飛行機の爆音は、
飛行機雲やパイロットの映像とセットになった上で、
普通の飛行機の音の枠からはみ出し異化される。
しかしこれは『普通の飛行機の音』が
前提とされた上での効果なのではないか。

例えば「映画史」の中でのタイプライターの音は、
タイプライターの映像とセットになってはいるが
もはやタイプライターの音ではありえず、
ただの音としてそこに投げ出されているように思う。

海と空の光景、男と女が窓辺で踊る光景が
徐々に別のモノに変わっていくところなどは圧巻で、
音と映像が洪水のように押し寄せる最近の作品もいいけど、
こういうのもいいなぁ、と思ったのでありました。