J=P・ジュネ「アメリ」
こんにちわ、wbntです。いつも流行に取り残されます。
韓流ブームにもNANAブームにも乗ることがません。
でもチョン・ジェウンの「台風太陽」は観る予定です。
NANAは数年後にテレビで放送されたらこっそり観ます。
原作は5巻くらいまで読んでたけど、フェイドアウトしました。
矢沢あいは肌に合う作品だとビンビンに来るんですが、
合わないやつだと読んでて胸焼けがします。
というわけで、何をいまさらというこの時期に
「アメリ」を観ることにいたしました。
ちなみに一昨日観たのは「ロード・オブ・ザ・リング」の1です。
マトリックスシリーズを観終わったのは先々週くらいです。
さて、本題です。
ある種の物語を作ることにおいては
『これって自分の話だな』という思いを
いかに多くの人に感じさせることができるか、
ということが勝負の分かれ目になります。
この映画ではかなりの観客が
アメリの孤独に密かなシンパシーを覚えたでしょう。
孤独なんて現代人はだれでも持ってるものだから
感じて当たり前だ、って思うかもしれませんが
例えば「ターミネーター2」のシュワちゃんは
孤独で、疎外された存在ですが
そんなところにシンパシーを感じながら
T2を観る人はあまりいません。
では設定の問題かと言えば、そんなことはなくて、
「美女と野獣」の野獣に変えられた王子様
などというとんでもないキャラクターの孤独は
誰もが理解することでしょう。
問題は描写なのです。
「アメリ」を成立させているものは、
隣人の幸福へのささやかな干渉と思えるものが
じつはナルシシズムに支えられている、
といったような残酷でリアルな描写や、
彼女の孤独を悲壮なものとしてではなく
美しく可愛らしい物語の後継として配置した周到さ、
言ってみればジュネならではの繊細さの勝利
といったところでありましょうか。