僕だって猫は好きである

mixi大島弓子コミュニティで密かに話題になっているのが
グーグーだって猫である』の映画化の話。
ネットで検索してもあんまり情報でてこないけど、
監督は犬童一心だ、とか本気っぽい噂(あくまでも噂)もちらほら。

で、僕その書き込み読んだときすごくイヤな気分でした。
小説や漫画にはそれぞれの読者に自分の中のイメージがあるから
すごく思い入れのあるファンは映画化を望まないって話は多いです。
今までその感覚って一度も味わったことがなかったんですが
これがそうなのかなぁとぼんやり思いました。

しかしですね、よく考えてみると違うんです。
綿の国星』アニメ版は一回観てみたいなぁって思ってるし
仮に『夏の終わりのト短調』が映画化されると聞いたとしても
「へぇ」としか思わないだろうと思うのです。

僕は「ペットもの」の映画やテレビが大嫌いなのです。
ペットが嫌いなわけではありません。
僕だって犬や猫をかわいいと思わないではないですが
赤の他人のペット自慢を聞きたくないのです。
かわいがるのはけっこうだけど自分の家でやれと。
ナンシー関がゴルフ番組が嫌いだと言ってたのと同じ気持ちです。

じゃあ当の『グーグー』とか『サバ』はどうなんだって話ですが、
あれはきちんとしたエッセイ作品になってるからいいのです。
ただのホームビデオとエッセイ(エッセイ映画なども含む)の違いですね。
なんか「ペットもの」の番組って、
質的にはほとんどホームビデオ垂れ流しに近い雰囲気があって
しかも当人も視聴者もそれが許されると思ってるフシがある。
ナンシー関がゴルフ番組につけたイチャモンもそこです。
ようするに『グーグー』がそういう映画になるのが嫌なわけですよ。