細田守『時をかける少女』

時間を逆行できる少女を通して訴えられるのは
矛盾するようですが「時間は不可逆である」というメッセージです。
自由に過去に戻れる能力を得たからこそ
(正確にはそれを失ったときにですが)
本来は戻ることのできない過ぎ去った時間、
そして今自分が生きているこの瞬間の大切さを知るって話なわけです。

もちろんがそれがテーマとしてストーリーに組み込まれ
がっちり構築されているんだけど
うまいなぁと思ったのはそれをエピソードとしてだけではなく
気分としても上手いこと散りばめているところ。

携帯にテントウムシがとまる、、
子供が河原で水切りをしている、
女の子が図書館で壁に寄りかかって本を読んでいる、等々。
これらをあえてエピソードとして構築せず数秒の映像として見せる。
それによって説明的にならずに
「その瞬間のかけがえのなさ」が意識されます。
(『耳をすませば』が『トトロ』や『魔女』に勝てないのは
説明しちゃってるからですね。あれも嫌いな映画じゃないですが)

ちなみにこのかけがえのなさはノスタルジーに近い感覚ですが、
観客として大人よりも中高生を意識して作られており
彼らにもこの感覚は共有できるはずのものだと思われるので
ノスタルジーとは呼ばないことにしました。

画として見せているってのがすばらしい。
原作(僕は読んでないけど)を消化した上で
映像としていかにそれを表現し乗り越えるか
どれほど考え抜いて作っているかよくわかります。
ついでに言うと、主人公真琴の家が現在の集合住宅的な造りではなく
縁側があり、家具もやや古めかしく
少し懐かしさを感じるような造り(でも古すぎはしない)
なところなんかも上手いです。

で、何よりもすごいと思ったのが、
水切りは3回、テントウムシと図書館は2回ずつ
真琴が時間を超えたときに同じシーンを繰り返すんですね。
手法的にはベタだけども「二度と戻らない今この瞬間」が
繰り返し現れることの効果は絶大で
かけがえのなさの感覚を文字通り数倍にします。
非の打ち所がありませんな!


↑とか言いつつどうでもいいつっこみ。
真琴が最後の一回タイムリープを使ったあとで
千秋も自分の最後の一回を使います。

A:功介が真琴に自転車を借りる。
B:千秋が真琴に質問をする。
C→B:居たたまれなくなった真琴はタイムリープを使う(質問は帳消し)
D:功介が真琴に借りた自転車で事故を起こす。
E→A:千秋はタイムリープを使いAに戻って功介から自転車を奪う(事故は帳消し)

時間はAからEの順で、矢印がタイムリープです。
おかしいのは千秋がタイムリープを使ったあとであるにも関わらず
真琴がB、C、Dの記憶を保持していること。
千秋がEをAに戻した時点で真琴は質問や事故の記憶を失わなければならない。

承太郎がディオが止めた時の中でも意識があるように
タイムリープ使用者は他者が発動したタイムリープの中で記憶を保つ
という設定なら上のエピソードに矛盾はないのですが、
だとすれば真琴が発動したタイムリープ(カラオケや告白)で
千秋が真琴の仕業だとすぐに勘付いてもいいはずだし
なによりもラストと矛盾する。よってこの設定も却下。

ファンタジーとしては最高に面白いけどSF的には詰めが甘いね(笑)