マイケル・ウィンターボトム『ひかりのまち』

家族ものの群像劇で、
それぞれみんな人生背負ってがんばって生きてんのよ、
って話なんですけどね、要約しちゃえば。
その手の話だったらありふれてるわけですが
ウィンターボトムが聡明だなぁと思った点は二つ。

一つは群集の撮り方。
スタジアムや花火のシーンでは
メインキャラとほぼ同列に名も無き観客や選手達を撮ります。
ジャックには「両親が離婚してて母と二人暮しの小学生、
今日は久々に会った父とのフットボール観戦を楽しみにしてる」
という物語がひっついてるわけですが、
他の観客達にはもちろんそんな物語はない。
ないんだけど、ジャックと同じような視線で試合を見ている彼らにも
それなりに背負ってるものがあるんだろうな
っていうような想像力を掻き立てる撮り方をするんですね。

もう一つは彼らが自分自身で物語をつくっているという点。
こういう風にほぼ毎日日記を書いてる僕も例外じゃないんだけど
現代人は自分が語る自分の物語に自分で影響されます。
と言うか、そのような物語で自分をコントロールしているのでしょうか。

ナディア(ジナ・マッキー)は
伝言ダイアルにプロフィールを吹き込んで男をさがしているし、
エディ(ジョン・シム)は会社を辞めたことを妻に言うための言い訳を
ストーリー仕立てにして何度も繰り返し練習しているし
モリーモリー・パーカー)は昨日見た悪夢を姉に話して
それをどう解釈すべきか相談しています。

3人ともそこで語っている話なんてのは
完全な事実ではなく半分は喋りながらでっちあげたものでしょう。
自分でつくった自分の物語に自分で影響を受けているわけですよ、まさに。
バラバラに暮らす家族の日常をリアルに描いた、っていうだけじゃなくて
そこにちゃっかり虚構を忍び込ませてるとこが頭いいなぁと思うわけです。


どうでもいい話。
次女のナディアの髪型も可愛いけど
モリーのおかっぱの勝ち(何が?)