藤田敏八『新宿アウトロー ぶっとばせ』

映画史には全然詳しくないので適当に書きますが、
撮影所システムの上に看板スターを乗っけて量産する
っていう映画のスタイルがこの時期の日活では
もはや興行的に立ち行かなくなってたのではないかと思います。

ストーリーはどれも似たようなもんだし、
ステマティックに組み立てられたカメラワークもライティングも
僕らの目から見れば新鮮でスタイリッシュに映りますが
当時の観客から見たらもう飽き飽きって感じだったのかもしれません。
知らんけど。

この映画でも室内なのにやたらと濃い陰影とか
流れるような移動撮影とか、
プログラムピクチャーな雰囲気を濃厚に残しつつ
多分ヌーヴェルヴァーグの影響なのかなと思わせるような
そのシステムを逆手にとったような手法も使われています。

成田三樹夫がエレベーターを降りるシーンの止め絵とか、
渡哲也と梶芽衣子の照明の切り替えとかね。
梶が喋ってる時は梶にだけ照明が当たってて
渡が喋りだすと照明が切り替わるんだけど、
こんなの自然ではありえない状態なわけで
「これは映画である」という自己言及的なシーンであって
B級映画というよりもシネフィル的な匂いがします。

でもそこで使われてるライトの当て方は
(技術的なことはよくわからないけど)
いかにもプログラムピクチャーって感じで
そこら辺はいかにもな無頼者のやくざ映画なんだけど
時々ザラついた自意識の感触が見えるわけですよ。
その対比が面白いんですよね。


どうでもいいけど。
梶芽衣子って『修羅雪姫』だと
物憂げな悲しい顔と修羅の形相しかないんだけど、
この映画だとけっこう笑ってるんですよね。
そして笑顔は菊川玲みたいなんですね…似合わないです(笑)
「勇次、帰ってきたのね…」
って悲しい顔してるときがやっぱり美しいです。
あと、やっぱり血が似合います。

僕がモンスリーとか修羅雪みたいなキャラが好きなのはなぜなんでしょうね。
なんかトラウマでもあるのかなぁ…