アレクサンドル・ソクーロフ『太陽』

終戦前後の昭和天皇がどんな生活をしていたのかについて
僕はほとんど何の知識も持っていないので
とりあえずこの映画の中のことについてだけ書くことにします。

明治期に確立した帝国時代の天皇制は、古代からの天皇制に
絶対王政のシステムを接合した「和洋折衷」なわけですが
(まぁ象徴天皇制も同じですが)
マッカーサー(ロバート・ドーソン)の
「なぜ着物を着ないのですが?」というセリフに表れるように
そのことは西洋人の目から見た時のほうが明らかなのかもしれません。

和洋折衷でも調和の取れたインテリアの天井が
むき出しの鉄筋で補強されており、
扉の向こうには要塞のような不気味な廊下が続いている。
細部までチリ一つなく整えられた楽園のような皇居の外に
無残な焼け野原が広がっている。
そのような世界のあり様が天皇制の矛盾に表れている。
そしてそのような矛盾を一人で一手に引き受けているのが
昭和天皇イッセー尾形)その人なのですね。

科学者でもあった天皇
オーロラがいかなるものかについてよく知っていながら
明治天皇が皇居の空でそれを見たとことも信じている。
生物を研究し、その美しさ、自然の偉大さを知りながら
普通の人間と何も変わらない肉体を持つ自らを
神と呼ばねばならないという矛盾。
そして絶望的な孤独を味わいながら
皇后(桃井かおり)以外にそれを理解する相手はおらず
打ち明けることも出来ないという苦悩。

会話を断ち切るように発せられる「あ、そう」と言う語、
そして何を言うでもなくパクパクと動かされる口、
せかせかと幼児のように動かされる手足、
そこに声にならない彼の声が響いているのですね。

そしてそれは押し殺された内面などという単純なものではない。
発露される手段を持たず、またそれが許されることもなかった彼の感情は
幾度も挿入される宙吊りにされた沈黙の時間のように、
重く、かつ空虚なものだったのではないでしょうか。
ぎこちなく皇后と抱き合う姿があれほど美しいのは
ついに発露されることのない天皇の感情が
唯一あの場面にのみ表れているからでしょう。
そのあと自決した技師の話を聞いた彼の悲しみなど
僕にはうかがい知ることもできません。
本当に彼が悲しんでいるかどうかさえも。


ま、シリアスな部分は置いといて
コメディとしても十分楽しめます。