中島貞夫『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』

この映画を一言で言えば「すれ違いの純情」
昨今のT-BOLANリバイバル(嘘)と引っ掛けて言えばそういう話です。

もちろん暴行魔の荒木一郎に純情もへったくれもないのですが、
暴行も含めて自分の感情を一方的に押し付けることしか出来ぬ
荒木の不器用さを純情以外の言葉で表すことができましょうや。
そして、彼の親切が暴力にすぎぬをわかっていながら
彼を受け入れてしまうクリスチナ・リンドバーグの思いもまた荒木には届かない。

そこにあるのは言語の壁だけではありません。
愛はどこまで行っても暴力を孕むもので、
コミュニケーションはどこまで行っても不全なもの。
この映画の暴力と言葉の壁は、それを極端に形象化したものなのですね。

画面の奥から手前へ、手前から奥へ、
風景から人物へ、荒木からリンドバーグ
頻繁に変えられるピントは二人の距離と視線を演出します。
夕闇の白々とした薄明かりの中で演じられる最初のレイプシーンと
上気した二人の肌と汗まで鮮明に撮られた最後のセックスシーンの対比もまた
二人の愛憎を彩るでしょう。

そもそもが勘違いから始まり
ほとんど視線を合わせることもない二人の平行な視線が
かすかに交わったかに見える地点に
愛の幻想が一瞬だけまたたくのです。
ま、それも一瞬の話であってすぐにまたすれ違ってしまうのですが。