小津安二郎『父ありき』

小津ってのは構図の人なんだよ!というくらいの知識は僕にもあったんですが、
東京物語』では画面の端に襖とかカーテンとかが写ってて
これはいったい何なのだろうか、いつも画面の端が仕切られてることが
構図的にどういう意味をもつのかというのがよくわからんかったのです。

この映画でも画面の端に襖が写ってるシーンはありますが
東京物語』ほどではありません。
代わりにって言うと変ですけど
画面の手前に何かが写ってることが多いです。

電車の中のシーンでは窓枠を手前にして画面奥に外の風景が写ってますし、
子供が喋ってるシーンでは手前に父の着物の裾が、
宴会や旅館のシーンでは人物の手前に鉢か何かが写ってます。
これによって手前と奥を意識させる
画面の奥行きを感じさせるための手法なのでしょう。

宴会で男が一席ぶっている時にその奥、
襖の向こうで仲居が酒を用意してるシーン。
旅館のシーンでは襖の手前と奥で
父と子が別々のことをやっている場面などがあります。
これも、普通に並べて撮れば日常のワンシーンになるのでしょうが
襖によって空間が区切られることによって人物も個別化し
結果、異質な動きが同時に進行する広がりのある画面になります。

1)同じ部屋の手前と奥で父子が別のことをしている。
2)風呂場の同じ風呂桶の中で父子が仲良く話している。
3)川辺の手前と奥で父子が全く同じ動きで釣竿を振っている。
という、3つのシーンそれぞれの
空間と動きの組み合わせのバリエーションによって
複雑な父子の間の微妙な関係が示されているのですね。


どうでもいいこと。
オープニングでは「父ありき」とタイトルが出るのですが
終幕は「きりあ父」と右読みで出ます。
戦前の映画だからでしょうか。…って理由になってませんね。