ポール・ハギス『クラッシュ』

神代辰巳黒沢清の映画が恐ろしいのは
私とまったく関係のない原理で動いている「世界」が
私を不意打ちするからこそののものなので、
どちらかと無関連性こそがその原理だと言えます。

その意味では世界の複雑さを「関係の複雑さ」に置き換えて
表象させようとしてしまったこの映画は
その意味では失敗作だと言えましょうか。
しかしハギスのすさまじい思考の強度が空転し(笑)
彼の芸のこまかさがひたすら鼻につくこの映画は
異様な迫力で僕の胸を打ちます。

全編を通してもっとも愚かな人物として描かれているサンドラ・ブロック
自分が貧民に攻撃されていると感じている彼女の愚かさは階級的限界であり、
観客は彼女を心底から憎むことはできないのですが、
かと言って到底許すこともできない人物として描かれています。

モノとして扱われるカンボジア系(?)難民から
階級としての子供まで、よくもまぁこんだけ集めた
というくらい様々な階級の代表がぞろぞろ出てきますが
そのほとんど全てが上のサンドラ・ブロックのように
全面的には許せないが仕方がないとしか言えない
というような行為をそろいもそろってしやがるので
2時間近くの間、胸がムカムカしたり逆に熱くなったり
決して爽快になることのない時間が続くのでした。

個人的には(って全部個人的感想ですが)
ヒスパニック系(?)の鍵屋の娘がカワイイです。
あのエピソードだけ切り取って何回も観たい。


微妙なところ。
これ、アメリカ人は全員観ればいいと思うけど
現状の日本で上映された時の政治的効果が気になります。
現実的に後戻りできない移民社会であるアメリカでは
この映画を観て自分のエスニシティに対して
何らかの反省が促されると思うのですが、
単一民族国家である(と愚かにも信じている人がいる)日本では
「やっぱり移民社会なんてこうなるからダメだよ
外国人なんてみんな追い出しちゃえよ」
という感想を抱く人がいなくはないと思うからです。
当然、日本だって後戻りなどできないのですが。