相米慎二『風花』

いきなり関係ない話から。
昔から小泉今日子の歌は息づかいが気になってました。
たぶん肺活量が少なく声量もないので
レコーディングで息を吸う音が入ってしまうのでしょう。
しかし、だとしてもその息の音はなんとも印象深く
魅力的だとさえ言える音です。
(もしかしたらわざと残してるのかもしれません)

画面手前で寝ている浅野忠信から
不意に画面奥の小泉にピントが移って
彼女がぼそぼそと一人で自分を責める姿を
ゆっくりとカメラが寄りながら捉えるシーンがあります。

このシーンからは彼女の孤独がにじみ出ているわけですが
ここにかぎらず、この映画では象徴的な記号化をよく使います。
「仕事で失敗した男が死にたくて雪山に行く」
なんてこれだけ書いたら、これほど短絡的な記号化もないでしょう。

しかし、上に書いたシーンでもっとも印象に残るのは
彼女の孤独、ではなく彼女の声ですし、
序盤では単なる記号としてあった雪山も
最後には具体的な場所として、
しかも浅野の孤独とは全く関係ない形で現れます。

象徴作用をつかって物語を組み立てながら
俳優や風景、映像や音響といった具体的なものを
その象徴を上回る強度で捉え、画面に定着させているのですね。

『お引越し』とかもそうでしたけど
クライマックスでハイになった主人公が
わけのわからないお祭り状態になっちゃうシーンはすごいです。
ここでもある種の象徴作用は働いているはずなんだけど
画面に写っているものがそれを振り切って
どっかへ飛んで行っちゃったみたいな感じです。


余談。
昔テレビで録画したビデオで見てたんですが
途中でズザザザってすごいノイズが入って
巻き戻したり早送りしてたりしてたら
ついに観られなくなっちゃいました。

途中まで観た手前すっきりしなくて
わざわざDVDを借りてきて続きを観ました。
ビデオって劣化するからイヤですねぇ。
そう何回も観たわけじゃないのに。