マルコ・ベロッキオ『夜よ、こんにちは』

ベルトルッチの『暗殺の森』には、教授が窓を閉めた瞬間に
トランティニャンの影がフッと消える、という
印象的なシーンがあるのですが、
常に焦燥感にせきたてられているトランティニャンと同じく
若いベルトルッチの焦燥感が前面にあらわれたこの映画を
(もちろんそこが『暗殺の森』の魅力ですが)
2003年に撮られた『夜よ、こんにちは』を観て思い出します。

と言っても、深い意味があって思い出したわけではなくて、
映画の冒頭で不動産屋が部屋の窓を開けると
主人公の顔が日差しに照らされて徐々に見えてくる、という
暗殺の森』とは逆のシーンがあったからというだけの話。
まぁベレッキオもちょっとは意識してんじゃないでしょうか。

ここで、この映画が『暗殺の森』と決定的に違うのは、
窓を一枚々々開けていき、キアラ(マヤ・サンサ)と
エルネスト(ピエル・ジョルジョ・ベロッキオ←息子?)の顔は
徐々に明らかになっていくという点です。
キアラには、トランティニャンのような焦燥感はない。

この時点ではキアラとエルネストは夫婦だと思われているんですが
次のシーンではプリモ(ジョヴァンニ・カルカーニョ)と
キアラが抱き合って寝ている。
ここからモロ党首(ロベルト・ヘルリツカ)が
誘拐されてくるまでのシーケンスはすんばらしいんですが、
何がすごいって、彼らの関係が「徐々に」明らかになっていき
その後も「徐々に」変化していく、という点です。

叔母や叔父たちと歌うパルチザンの歌や
エルネストの浮気(笑)がキアラの心を動かし
エンゾ(パオロ・ブリグリア)が書き加えたシナリオが
彼女のシナリオを狂わせる(このシーンも大好き!)
人は理念のみでは生きることはできず、
その理念は常に生活世界からの影響をうけるし、
受けなければ理念たりえない、というわけですね。