もののけ姫はポストモダンの荒野を生きる

もののけ姫』の世界内では、
とりあえずシシガミが全体性を象徴しています。
とりあえず、と言ったのは、その全体性は「自然/人間」
という対立によって崩れつつあるからです。

主要なキャラクター達はその失われた全体性を
それぞれ別の方法で取り戻そうと画策しています。
山犬や猪たちはシシガミ=自然の力によって、
は製鉄産業の力によって、
ジコ坊は帝の権力によって、
アシタカはそのすべての調和によって、
狂ってしまったバランスを取り戻そうとしているわけです。

しかし、各々が各々の思惑において動くことで
歯車の狂いは加速度的に進み
象徴としてあったシシガミも死んでしまい
全体性の夢は断念されることになります。
まぁつまりはポストモダン的なお話だってことです。

エコロジーという概念を作ったエルンスト・ヘッケルは
優生学を作った人でもあるのですね。
エコロジーは過去の地球のシステムの記述には有効なんですが
その調和を未来に照射しようとすると、
必然的に優生学になってしまうのだ、
というようなことを岡崎さんが言っていました。

この映画の偉いところは、
特定のキャラクターの優生学を特権化せず、その全てを無効化し、
それらが複数のレイヤーとして並列的に存在することを
まるごと肯定しようとした、という点にあるように思います。
その対立を調停しようという志向が虚構だ、ということ。
僕達もポストモダンに耐えるしかないのですね。