宮崎駿『もののけ姫』

相原コージの『サルでも描けるまんが教室』の動物マンガ編で
動物の食事シーンの難しさに触れて
手塚治虫ジャングル大帝』でも
レオたちがレストランをはじめて
「お肉おまちどう!」という微妙なシーンがある
ということを書いていました。

先日見たフジタでも、
馬やアヒルや狼など、いろいろな動物(服を着て擬人化されている)が
豚の丸焼きか何かを囲んで食事をしている絵がありました。
これはある種のブラックジョークでしょう。


いきなり話は飛んびます(笑)
宮崎駿の作る話は、二項対立的な構えを
複雑化していくことで展開するものが多くて
この映画においては「人間/自然」という対立を基礎にして
そこに複数の層を重ねることで、
その対立をより複雑なものとし、
やがて対立そのものを無化してしまおう、というわけです。

二項対立を複雑化するレイヤーとして最もわかりやすいのは
言うまでもなく、人間と獣の中間であるサンですね。
おそらく彼女の存在だけでも2時間くらい持つんですが、
頭はいいらしいけど喋らないヤックル、
いつも人語を喋ってるモロと、
サンとアシタカにのみ人語を使い
他の人間に対しては獣として振舞うモロの子、
などなど「人間/自然」の間に複数の層をつくることで
レイヤーを複雑化し、
単純な二項対立には収まらない世界を構築します。

これらの複数のレベルの「自然」が
互いに絡み合うことで世界がきしみ
物語がうねりだすわけですね。
とりあえず省きますが「人間」の側も
一枚岩でないことは言うまでもありません。

はてさて、この複数の層は物語のレベルにとどまらず
アニメの技術的な部分からも影響を受けています。
異様にリアルな獣たちの動きと
彼らの擬人化された部分の乖離、
特にリップシンクのちぐはぐさは
技術的な甘さというよりも、
彼らが複数のレベルに身をさらしている
その葛藤を際立たせるような描写になっていて、
アニメの技術で自然を描くことの限界に挑んだ映画
と言えるのではないかと思います。