小津安二郎『晩春』

何も起こらない映画という印象がつよいのですよ。
しかしですね、父子家庭の娘がお嫁に行く話、
というのは物語として十分なもので、
もっと何も起こらない映画はいっぱいあります。

何も起こってないからそういう印象なのではなくて、
無駄に事件性を煽らない独特の時間感覚が、
なんとも言えないゆったりとした抒情を誘うのですね。
で、そのような時間の感覚を作り出しているのは
やたらと引き伸ばされた描写に拠っているのですね。

紀子(原節子)と服部(宇佐美淳)が
自転車で散歩をするシーンでも、
紀子と父(笠智衆)が電車に乗るシーンでも、
前から横から後ろから、遠くから近くから
やたらカットを割って撮りまくる。

自転車に乗る二人をワンショットだけ撮って
あとは浜辺に座らせておけば
十分にデートシーンとして成立するはずなのに
けっこうな長さのシーンになるのですね。

叔母(杉村春子)の家のシーンで
「ちょっとお座んなさい」と言うとこでも、
わざわざ座るとこなんて撮らなくてもいいのに、
腰をかがめてどっこいしょというショットを
きっちり入れてくるのですね。

こういう描写はちょっと偏執的なくらいなんだけで、
お能のシーンの紀子なんて怖いくらいなんだけど、
それがあからさまな狂気のようなものにはならない。
かと言って、引き伸ばされた執拗な描写が
冗長さとか退屈さにはつながることもなくて、
いつまでも観ていたいなぁと思わせるような
チルアウトな空気だけが漂っているのですね。