小沢健二『Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学』

これはすごいですよ!
僕の知る限り、21世紀の5年間で作られたものの中では
最も高度に考え抜かれた音楽です。

1曲目『The River あの川』について。
最初から最後まで鳴っている音は和音のディレイだけ、
もう一つ、途中で鳴ってないとこもありますが、
左右のピチカートっぽい音も曲を通して鳴り続けます。

この二つが曲の基底となる音なんですが、
両方ともテクノなどで典型的に見られる音型で、
それを基底としている以上、この曲はテクノだと言えます。

重要な点は、この二つの音のようなパターンは、
テクノでは装飾音として使われるということです。
ダンスミュージックであるテクノをテクノたらしめる音は、
なんと言ってもベースやバスドラムなどによる
4ビート等の反復的な低音です。

この曲のベースとドラムは、要所要所で寸断され、
反復的なビートを刻まないよう慎重に配慮されています。
さっきと言ってることが矛盾しますが、
この曲はその点でテクノとしての要件を満たしていません。
よって、この曲はテクノであってテクノではない、と言えます。

他の音についても同様です。
ストリングスはクラシカルな和音を使っていますが、
メロディのパターンはポップス的です。
短い一つの音型を繰り返すだけの
アコースティックギターの使い方はハウス的なのですが、
おそらく生演奏であり、生弾きの感触を十分に残してあるので、
ハウス的には聴こえません。

そんな面倒くさいことをして小沢が何をやりたいのかと言えば、
テクノでもクラシックでもハウスでもないけれど、
そのどれでもありうるような
極めて抽象的な音楽が作られてるわけです。
音の抽象化と言うと、ここ20年は、
何よりもまず「デジタル化」によって推し進められてきたんですが、
そこを生演奏の導入によってやってのけるとこがすごいですね。

ボーカルを入れなかった理由もここにありまして、
声を入れてしまうとそれに引っ張られて
曲全体が「歌」になってしまうのですね。
それを避け、すべての音が等価であるような
抽象的な音楽を作るためにボーカルを入れなかったのだと思います。

ちなみに、坂本龍一ブライアン・イーノの何がすごいって
ボーカルが主役じゃない「ポップソング」を作れるってことです。
今の小沢にはそれはできないんですけど、
小沢が坂本やイーノより劣っているということではなくて、
その二人が作曲家であるのに対し、小沢が第一に歌手であった
という違いがあるだけの話です。
「作曲家・小沢健二」の飛躍はまだまだこれからで、
このアルバムはその記念碑となることでしょう。


試聴できるサイトがないか探したんですけど、無理っぽいです。