山極寿一『ジャングルで学んだこと』

著者はゴリラの専門家なんですが、まずは読みやすそうなエッセイから。
サブタイトルは『ゴリラとヒトの父親修行』で、
ゴリラの話と、アフリカでの自身の子育て話が絡むんですね。
僕、こういうエッセイは大好物なのです。
蓮實重彦の『反=日本語論』とか。

しかし、重臣の比じゃないですよ、この子達は。
4歳と2歳でアフリカに連れてかれて
毛虫は食うわ、ペットのウサギも食うわ、
ヤギの種付けを楽しそうに眺めてますからね(笑)
日本に帰ってから入った保育園で
「可愛いウサちゃんねえ。先生、このウサちゃん、いつ食べるの?」
と聞いたというエピソードが最高です。
すばらしい子供ですよね。まさに教育の勝利!

プロローグには

ゴリラと人間の父親たちとの交流を通して、私は父親というものが常に他者の認知によって支えられている、脆弱なものであることを痛感させられることになった。そして、その虚構としての父親の姿に、類人猿社会の遺産からつくられた人間社会の原初的な特徴を見たのである。

って書いてあります。

「脆弱」「虚構」っていうネガティブな単語が並んでまして、
明らかに山極は父性を絶対的、普遍的なのものとは見なしていません。
にもかかわらず山極は、コンゴで出会った仲間たちや、
父親としての自分の子育てを肯定していますし、
ゴリラのオスが遺伝上のオス親を超えて、
父親になっていく姿を(学者としての興味を超えた)
愛着を持って見ているのが伺えます。
「父性は虚構である」という地点でニヒリズムに陥らずに、
父権とは別種の父性を肯定的に描き出そうとする姿勢は感動的です。

フロイト精神分析の理論について、
生物学的な事実をいったんカッコに入れて
分析的な観察に基づいて仮構されたものだ、
みたいなことを言ってたと思います。

山極の父性に関する考察も、変に文化的にならずに、
科学的な観察に基づく考察に留まっていて、
そこら辺の潔さが信頼できるなぁって思わせるとこです。
今、同じ著者の『ゴリラ』って本を読んでるんですけど、
次は『家族の起源:父性の登場』読もうかなぁって思ってます。
僕ってばハマってるじゃないですか。