『マラケシュの贋化石』続き
グールドはビュフォンという博物学者について書いている。
36巻にも及ぶ『博物誌』という本を書いた18世紀のフランス貴族で、
そんな人だから当然、様々な生物分類も行ってるんですが、、
同時代人でライバルでもあったリンネの分類法(現在でも使われている)
と比べると、あまり使い勝手のいいものではあるません。
リンネ式の分類法は、ツリー構造をとっている(現在では)
菌界 …
植物界 /環形動物門 …
動物界――節足動物門 /鳥綱 …
\脊索動物門――爬虫綱 /偶蹄目 …
\哺乳綱――食肉目 /ヒト科
\霊長目――オナガザル科
\ショウジョウ科
教科書にも載ってるヤツですね。
それに対し、ビュフォンの分類は、グールド曰く
見た目にも錯綜した生物の関係をそのまま、注目する特徴によって関係が異なる非階層的な体系に包含させてしまおうとした(形態的に見るとコウモリは哺乳類に似ているが、機能的には鳥類に似ているといったぐあい)。しかし、リンネ式の直線的な階層構造ではなく、ビュフォン式のタコ足状ネットワーク構造では、異なる適応がもたらした類似性(コウモリと鳥の翼)と系統関係を一にする類似性(コウモリとクマの体毛と胎生)とを区別することができない
『マラケシュの贋化石』を読めばわかりますが、
ビュフォンの功績は分類だけでなく別の領域にも及んでいるので、
分類法が間違っているからと言って、
ビュフォンがリンネよりバカだったということではないです。念のため。
そんなことはどうでもよくて、本題ですが、
グールドは「タコ足状」と呼ぶが、タコ足同士が連結すれば、
ニューロンのネットワークのようなリゾーム構造が容易に連想できる。
コウモリは、体毛と胎生を介してクマと連結し、
翼を介して鳥と連結するというわけですね。
まぁ現在から見れば、リンネの分類の方が正しいわけですが、
その「正しさ」がどの時点で成立したのかを問い、
その正しさの前に忘れられた理論を掘り起こし、
現在における正しさを批判的に検証することには意味があるわけです。
17〜19世紀あたりで起こった、パラダイムシフトの起源を執拗に問う
グールドの仕事が、上でみたように(浅田彰経由の)ドゥルーズや、
フーコーの知の考古学とシンクロしているのは興味深い。
ビュフォンの分類とリゾームという、一見なんの関係もないものを
独断と偏見で結びつけるのって、中々楽しいことなので。
高橋悠治も『音楽の反方法論序説』の中で
東アジアの複数の伝統を観るのは、回帰のためではない。
原初の分岐点にたちもどり、ありえたが実際にはなかった道に
はいりこむために、伝承を役立てるだけだ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000059/card374.html
と書いていて、僕の頭の中では、
グールドとフーコーと悠治が連結されたわけです。
それもこれも「リゾーム」という概念の賜物でありまして、
改めてポスト構造主義思想の偉大さを知ったのでした。
今日の文章はいつにも増してとっちらかってますけど…放置。