柴崎友香「今日のできごと」

発表された時期も媒体も異なる短編と、
書き下ろしによって構成されているので、
短編集と呼ぶこともできそうだけど、
7人の男女が集まって呑んだくれた日の話を、
5人の語り手が、それぞれ別の視点から語った話になっているので、
一遍の長編小説としてもよめるわけです。

「十年後の動物園」は3/24午後1時の話で、
「途中で」は3/25午前3時の話、といった具合に
語られる話の時間がちょっとずつずれているし、
そもそも『できごと』の内容が内容なので、
「藪の中」みたいに、事件を登場人物が多角的に検証する、
というような話ではなくて、
通して読むと、この日に起こった『できごと』が
ぼやーっと浮かび上がってくる、というような
不思議な感覚を味わえる小説なわけです。

ゆるく繋がっていながらも
あまり密接には関連していない、
中途半端な感覚が気持ちがいいわけでして
(もちろん、そうなるように計算して構成されているわけだが)
それは文体にもあらわれています。

会話が関西弁で、字の文が標準語なんですが、
語り手の心境が語られる時に、
唐突に字の文に関西弁が入り込むんです。
『○○やな、と思った』とか。
これが意識に引っかかるんですが、
読み進む流れを寸断するように引っかかるわけではなくて、
中途半端に読みづらく、かつ、文章にリズムを刻むような効果もあって
なんともこれが気持ちがいいんです。
ここら辺のくわしい話は↓
http://www.k-hosaka.com/nonbook/jarmush.html

話者によって文体が大きく変わるってことはないんですが、
真紀の語りだと、中沢と真紀の会話が、
どっちが喋ってるのか分かりづらいのに対して、
中沢の語りではそうなっていない、とか
えらく細かいところで微妙な差をつけてるわけです。
5人それぞれの口調が大幅に違ったりしたらわかりやすいんでしょうけど、
そうしなかったところにこの小説の固有の部分があるわけですね。