岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門」

この本の骨子は、ヨーロッパの哲学が
ギリシアの思想と、ヘブライの信仰という
二つの土台の上に立っている、という話だ。
これを読むと、神なしで倫理を打ち立てるのがいかに困難か、
ということを考えざるを得ない。
いっそキリスト教徒にでもなってしまいたいくらいだ。
ならないけど。

以下は、本の内容とは直接関係ない話。
唐突だが、僕は『無神論』と『無信仰』を勝手に分けている。
無心論者は神がいないと信じている人で、
無信仰者は何も信じていない人。
少々トリッキーな言い方をするならば、無神論は一種の信仰であり、
『神はいない教』を信じている人のことだと言える。
で、僕は無神論者だ。

僕の勝手な判断では、無神論者>宗教者>無信仰者だ。
宗教にも危険な部分はいろいろあるとは思うが、
やはり信じるべきものを持たない人間ほど
デンジャラスな生き物はいない。
20世紀の大殺戮は、科学技術が可能にした、というだけでなく
近代人が信仰を失ったことも大きいのではないかと思っている。
もしかすると、科学技術の発展の条件として
神の死があったのかもしれない、とさえ思う。

日本に比べて、欧米で比較的、政治が機能しているのは
欧米の政治家は大体が聖書を読んでいるからではないのか。
別に聖書だけが特別すばらしいと言いたいわけではない。
(「聖書物語」しか読んだことのない僕が言えるこっちゃないね)
般若心経でもコーランでもいい。

宗教に触れる、ということは、
世界の根源について考えるということだ。
ハイデガー風に言うならば『存在への問い』になるのかな。
これなしに倫理を確保するのは(不可能ではないかもしれないが)
ものすごく難しいだろうと思う。
倫理のない者が社会正義について語るなどおぞましいことではないか。

無信仰と宗教の悪いところを無神論止揚する、
などと性急なことを言うつもりはないが、
ともかく、最終的に神を受け入れないにしても
聖書くらい読んだらいいんじゃないか。

神なしでの倫理、はそのあとですね。
しかし、カントもレヴィナスも難しすぎて
僕のような一般ぴーぷるには敷居が高い。
由々しき事態である。