エミール・クストリッツァ「アンダーグラウンド」

クロはナチスへの抵抗のために地下に潜るのだが
親友マルコに騙され、戦後20年地下生活を送る。
地上では死んだ(ことになている)レジスタンスの英雄クロと
大統領の側近となったマルコを描いた映画が撮られている。

クロは演劇に乱入してナタリアを奪うし、
20年ぶりに地上に出れば、撮影中の映画に乱入して
ドイツ兵役の俳優を撃ち殺すし、
何よりもアンダーグラウンド自体が
一種の別世界として成立している。

メタフィクション的な視点の導入だという見方もできようが、
徹底した虚構を描くことでしか
ユーゴスラビアの歴史を表象できないという考えだろうと思う。
内戦の戦場でのクロとマルコの再会の悲惨さとか、
ラストのパーティシーンの突き抜けた明るさとかは
乾いた笑いで悲惨な物語を描いてきたからこそ生きてくるわけだ。

ところで、この映画は95年のものだが、
97年に村上龍の「五分後の世界」が出ている。
アメリカと本土決戦をした日本軍のレジスタンスが
アンダーグラウンド」と称して抵抗を続けている
パラレルワールドがある、という設定だ。

村上がパクッたとも思えないので、たぶん偶然だろう。
最悪の内戦を続けている国(もうユーゴスラビアは無いが)で
撮られた映画が、茶番としてのアンダーグラウンドを、
最大級の繁栄を謳歌してきた国の小説が
ユートピアとしてのアンダーグラウンドを描くというのは
なかなか面白い対比ではなかろうか。