大道珠貴「裸」

『時間が経つにつれ、私はどんどんどんどん気がめいっている。まんまと生徒のデートの誘いを受けた先生が、どこか情けなかったからだ、とも言えるけれど、でもきてくれなければもっと私は傷ついただろう。傷つくなんてなんともないが。なんにしたって、先生は大人の男らしい対処をするだろう。』

「ゆううつな苺」という短編からの引用だが、
この短い文章中で主人公、楠子の気持ちは、
①気がめいりつつも
②来てくれて嬉しいとも思っていて
③なんともないと強がりをいいながら
④先生を信じてもいる
とまぁなんとも複雑な様相を呈している。

世の中のフィクションというヤツは
恋愛モノなら恋愛モード、
ヒーローモノなら世直しモード、
復讐モノなら怒りモードってな具合に
本来複雑であって然るべき人間の精神を
極端な形で矮小化することで成立しているところがある。
(もちろんそういう単純化が必要なこともある)

この本に納められた3つの短編の主人公達は
男にもお金にも職場(学校)での人間関係にも
時に、その行動は矛盾してるんじゃないのか?
と思わせるほど微妙な距離をとっているが
多分、人間ってのは本来そういうものなんで、
たとえ先生のことが好きでも
嫌なとこを見たら嫌だなって思ったりはするわけだ。


どうでもいい話。
僕は映画とか少女漫画が好きなので、
上記の楠子の感情のようなものはよく理解していると思うし、
ジーンときちゃったりもするのだが、
実践となると非常に苦手である。

自分が楠子の先生の立場だったらと思うと冷や汗がでる。
そういう複雑な感情があると理解している、ということと
その感情をちゃんと受け止められることは別問題なのだ。

どちらかと言えば、そういうことがちゃんとできる人は
無意識に相手の感情の揺れを読み取って
無意識にそれに対して対応しているはずで、
こういうことをいちいち意識しちゃうようなやつはダメなのだ。
以上、愚痴でした。