橋本治「人はなぜ「美しい」がわかるのか」

読んでてわかるところとわからないところはあるけど
一番面白かったのは、美しいと言うためには
他者が必要であるというところ。

50年代のハリウッド映画と、21世紀のJ-POPと、
ルネッサンスの教会美術と、
芸術にもいろいろあるけど
それらの何が同じで何が違うのか。

他者というものを想定すると多少のヒントは得られると思う。
モダンアートのタイムスパンの短さって何なんだろう
ってずっと気になっていたのだが、
その美のバックグラウンドとなる他者の存在が
あまりにも狭く卑近なことが
そのタイムスパンの短さに現れているんじゃなかろうか。

もちろん、その短さは産業資本主義の
回転の早さによって要請されるんだろう。
前近代の芸術にとっての他者とはつまり神なのだから
中世の美術がいつまでたっても古びないのは当たり前なんですねー。

ここで言う他者っていうのはオーディエンスのことじゃなくて
その音楽なら音楽が成立するのを可能にするような
前提条件として存在するような他者のこと。
(自分で言ってて意味がわからん。もっと上手い言い方はないものか)

J-POPのようなものはそういう他者を
まったく考えずに作られているんじゃないか、
ってずっと思っていたんだけど、
実は違っていて、ある種のサブカルチャーにおいては
そういう他者とオーディエンスがぴったりと重なっているんですね。

だからサブカルはダメだとか、
逆にハイカルチャーは古いとか言いたいんじゃなくて、
もしかするとそれこそがポップカルチャーって物の
本質なのかもしれないなぁと思ったわけです。