ヴィターリー・カネフスキー「動くな、死ね、蘇れ!」

人間の視覚や聴覚ってやつはけっこういいかげんと言うか、
よく調整されているもんで、
見たいと思ったものしか見ないし、聞きたいと思った音しか聞かない。

これは何十人の人が一斉に話をしているパーティ会場で、
自分が関係ある相手の声だけを聞き分けられるという、
いわゆる『カクテルパーティ効果』なんかに特徴的なわけです。

それに対して、機械っていうのは無節操なもんで、
カメラはレンズに入ってきた光は何でもかんでも写してしまうし、
マイクはそこら中にある音を無作為に拾ってしまう。
だから映画を撮る人は構図をきっちり考え、レンズを絞り、マイクの指向性も計算しながら撮ってるわけですね。

まるで人間の視覚みたいに細部まで調整された映画を撮る人がいるのに対して、
まるで世界のありのままの姿を写したかのような映画を撮る人もいるんです。
カネフスキーって人は完全に後者でして、
主人公の後ろでウロチョロしてる子供をさも
『たまたま写ってしまった』かの様に撮るんです。
もちろん世界のありのままなんて言葉自体が虚構ですから、
そこにあるものを無作為に写してしまうカメラというものの性質を最大限に生かす方法で画面を構成するような計算をして撮っているんだと思われます。
それがどうやったら可能なのかは、
僕にはさっぱりわからないんですけど。

画もすごいんですけど、音もすごい。
市場のシーンでそこら中の人がしゃべってるんだけど、
今まで映画でもテレビでも聞いたことがない音でした。
何十人の人の声がそれぞれ等価でロシア語がわかる人なら全員の会話が聞き取れるんじゃないかっていうような声の塊が聞こえます。

群集の声って録音してみるとひどいノイズにしかならないことが多いんで
(まぁ僕の録音技術が稚拙だってことですが)
ここにも何かのマジックが使われてるんだと思うけど、
それがどんなものなのかはやっぱりわからない。
まさか同時録音じゃなくて一人一人全員分のアフレコしたんじゃないだろうな
なんて疑いさえ抱いてしまうほどです。