Steve Reich & Beryl Korot『Three Tales』@DVD

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↑試聴できます。

ライヒ(音楽)コロット(映像)によるビデオオペラ(っていうの?)です。
ライヒが言葉を使って作る曲は初期から一貫して
強い政治的メッセージを伴っているんですが
ライヒの曲ではその性質上、言葉を何度も反復することによって
その言葉が本来持っていた意味を奪われていく過程を体験します。

例えば「マシ、マシ、マシ、マシ、マシーン」という反復は
「…作られた機械である云々」という元々の言葉の文脈を奪われた上、
過剰な反復によって「マシーン」という語は
「機械」という意味の単語であることから離れて
純粋な音響に限りなく近づこうとします。

音楽作品ではこの解体の過程が前面に出てきがちですが
ビデオではテーマ=言葉に沿った映像
(この作品ではヒンデンブルグ号や羊のドリー)が画面に映し出され
また言葉も文字として絶えず画面に表れるため
純粋な音楽作品ほどには意味が解体されません。

が、しかし意味は常に保たれているわけではありません。
音楽における言葉と同様、エフェクト処理された映像も
絶えずそのイメージの持つ意味を奪われる過程にあるし
画面に映し出される言葉も、他の映像と重ねあわせられたり
音楽と同期して画面に現れる映し出されることによって
言語としての意味を奪われ純粋なイメージに近づきます。

しかし歌も、映像も、言葉も、
完全に解体されて意味を奪われるわけではない。
観る者はそれらが作品全体の文脈の中に位置づけられる
固有の意味がある対象であることを意識しつつ
それが文脈を奪われ純粋な音響、映像に解体する過程を経験するわけですが
そのことによって逆に奪われた文脈は常に観客の中で意識され
観客は目の前の対象に集中しそれを再構成しようとするでしょう。

個々の音響と映像を経験する瞬間と
それを作品全体として再構成することの相互作用、
この作品を経験することとは、
その二つを同時に経験することなのでありましょう。
とてもいいコンビですね。