アルノー・デプレシャン『キングス&クイーン』

一つのシーンを撮るのにもかなり細かいカット割をしていて、
正面顔撮って、横から撮って、足撮って、遠景で撮って
それらを全部使ってワンシーンが構成されるんですね。
同じ場面を細かくカット割することによって
物語上では同じ対象であるはずのものが
複数に分裂し、それぞれが差異化しまた共鳴し、
そのカットの刻みが一つの時間にリズムをつけます。

世界の複雑さの正しい表象とはこのようなものです。
ま、ハギスが「失敗している」からと言って
ハギスがダメだというわけではないのですが。

例えばイスマイエル(マチュー・アマルリック)と
看護婦が向かい合って語り合っているシーン。
イスマエルの後ろからのショットでは
二人は今にもキスをしそうな距離で囁き合っていますが
横からのショットでは思ったより離れています。

後ろからのショットで二人が近く見えたのは目の錯覚ではなく
おそらくそのカットでは実際に近かったのでしょう。
逆に横からのカットでは(意図的かどうかはわかりませんが)二人は遠かった。
そして、この二つのショットを同一の場面として繋げてしまうことによって
今にも恋におちるかのようにも見えるが
ちょっと仲の良い患者と看護婦のようにも見える
なんとも不思議なシーンが作り出されているのですね。

このような原理は同一の場面内にとどまらず、
ノラ(エマニュエル・ドゥヴォス)の記憶の中での
ピエール(ジョアサン・サランジェ)や
生前と死後の父ルイ(モーリス・ガレル)の態度、
父の死の前後にまるで人が変わる妹クロエ(ナタリー・ブトゥフー)たちの
強烈な差異と共鳴が物語に亀裂を走らせています。

同一の場面と前後する場面その全てで全く整合性を欠き、
語り口も全く一貫することのないこの映画を観て
なぜか「無茶苦茶だ」という感想を抱かず
「これが映画だ」と思ってしまうのですからわけがわかりません。