神代辰巳『四畳半襖の裏張り』『黒薔薇昇天』

この2本の映画にはろくでもない人間しか出てきません。
騙し騙される男と女。ぐずな男と女。強欲な男と女。
女の描き方は特に酷いけれど、
『四畳半』の袖子(宮下順子)も、『黒薔薇』の幾代(谷ナオミ)も
女のサガで男を受け入れ乱れてしまう存在ではなく
世界のデタラメさを身を持って引き受けてしまう存在である
と言って言えないこともない。
ま、ものすごく肯定的な見方をすれば、ですが(笑)

でも、この穿った見方には何の根拠もないわけじゃなくて
2本ともデタラメなものの繋ぎあわせで作られた映画なのですね。
『四畳半』では、江角英明と宮下の情事に
掃除をする芹明香や鳩を追う粟津號の映像が繋げられます。
二人の情事は夜、それに繋げられる映像は昼、
そこには物語的な繋がりもなければ時間的な平行関係もない。

『黒薔薇』で、十三(岸田森)は
動物の鳴き声を繋ぎ合わせてポルノ映画を作ろうとしています。
アシカやカモメの映像と音響という
ポルノとは何の関係もないように見えるものが、
ゴダールのような唐突さではなく、
物語の中に押し込められる形で
デタラメに詰め込まれているのです。

ろくでもない男女と、わけのわからない映像と音響が
デタラメに繋ぎ合わされた映画を作ってしまう神代は、
世界のデタラメさを受け入れ、そこに官能を見出す女達の側にこそ
自分を重ね合わせているのではないでしょうか。
ま、ものすごく肯定的な見方をすれば、ですが(笑)


余談。
新文芸坐は池袋の歓楽街のど真ん中にあります。
2本のポルノ映画を観たあとでそんな街に放り出され
「○○コース○○分○○円」と書かれた
きらびやかなピンクの看板たちを前に
先週お給料をもらったばかりの僕は
果たして寄り道せずに帰ることができたのでしょうか!?
以下次号!