藤田嗣治展@東京国立近代美術館

好きなわけでも興味があるわけでもなく
(よく知らないから、嫌いなわけでもない)
ちょっと必要があって見に行ってまいりました。
わざわざ平日の朝を狙ったというのにすごい人。

おまけに解説要員として同行したもらったお方が
「音声解説(有料)でも聞いたら?」などと寝ぼけたことを言うので
「あなたがいるからそんなものはいらない」と返したところ
「私、フジタなんて全然知らないから解説できんけど」だってさ。
入り口からこちらのやる気は削がれまくりでしたが(笑)楽しめました。

藤田はほとんど生涯、線描を通すのですね。
役立たずの解説要員によれば、人物を線で囲むことで
「切り取って貼り付けたようになり、平面性が強調される」だそうで。
これは対象(人物、動物、静物、壁にかかった絵)などを
画面内で無関連化するのと同時に、
すべての物を等価に画面上に配置する効果にも繋がります。

複数の人物の前後関係がよくわからないおかしな構図とか
壁にかかってる肖像画と、その横に立っている人物が
ほぼ同じような物として描かれている絵なんかがあるわけです。

『猫』というタイトル(だったと思う)の
10匹くらいの猫がケンカしている絵があるんですが
これを描いたとき藤田は戦争画の描き方を学んだ
岡崎乾二郎が言っていました。
猫のケンカには敵も味方もない、戦争も同じだと。
実際『アッツ島玉砕』は、日本兵も米兵も
死体も土も全てが等価な対象として描かれています。

『すぐ戻ります(蚤の市)』では、
売り手が飲んでいると思われる酒ビンと
商品らしい絵や版画と古道具、後ろの掘っ立て小屋と街並みが
どれが中心というわけでもなく描かれています。
といっても「雑然とした蚤の市の様子」の
全体が描かれているのではなく
一つ一つははっきりとした対象として描かれているのですね。

また『礼拝』(だったかな?)という作品では
修道服を着た藤田自身と妻がマリアの前に跪いていいて、
まるで二人は宗教画の登場人物のようです。
この『すぐ戻ります』『礼拝』を見て
藤田は真、善、美の三つの領域を
(正確な対応ではないけど、それぞれ、宗教、生活、芸術)
絵画という一つの平面上に落とし込もうとしていたのかなぁ
と思ったのでした。