パウル・クレー展『線と色彩』@大丸ミュージアム

最初に断っときますが、僕は普段絵を見ないんで、
基本的な絵画の見方ってものがわからないのです。
美術館に行くときは(年に数回ですけど)
なるべくなら妹を同伴して
「ここのフォルムの対比は色彩の対比とは逆になっていて…云々」
という受け答え機能付の音声解説を聞きながら見るんですけど、
昨日は妹の都合がつかなかったのでした。てか最近、兄に冷たいのう。

で、別の解説要員を同伴して行ったんですが、
この子が思いのほか役立たずだったので
(冗談です。明晰に言語化しながら絵を見るタイプではない、
というだけで、それなりに楽しい見方を教わりました)
以下は本当に適当な僕の感想となるでしょう。
まぁ映画の感想だって、いつも適当に書いてるんですけどね。

なぜ突然クレーを見に行ったかといいますと、
一番でかいのは、ピエール・ブーレーズが、
クレーについてけっこう長い文章を書いているからなのですね。
一昨日の晩、予習しようと思って探したんですが、見つからず。
というわけで、ブーレーズが何をいてるかは忘れたけど、
僕の印象でもクレーの絵って、とても音楽的なのです。

幾何学的な模様の組み合わせで作られた作品では、
色彩がグラデーションになったり、
全然べつの対立的な(?)色に変わったりする様子から
リズミックなグルーヴ感を感じさせます。

2本の逆さまになったY字型の線は、
画面を分割する線であると同時に、鳥の足のようにも見えます。
分割線と足は、それぞれ別のレベルに属している図像で、
その二つを同時に見るような経験が、音楽的なわけです。
んー。意味がわかりませんね。

一筆書きで描かれた人物像に、
矢印が描き添えられている絵があります。
矢印がなければ、目鼻が描かれることによって、
一つのまとまりとしての人物像を強く意識したと思うんですが、
矢印によって、全体としてのまとまりよりも、
線の流れが前面に出てきます。
そして、絵画の画面内に描かれたものである以上、
矢印もまた意味をあらわす記号であると同時に、
画面を構成するひとつの要素となります。
クレー自身の言葉を借りれば、
この辺の重層性がポリフォニックなわけですね。


関係ないけど、
ゴダールの映画を観てると、
曲のアイデアがよく思い浮かぶんです。
ドゥミやイーストウッドの映画も同じくらい好きですが、
そういうことってあまり(全然かも)ないんで、
思いいれの強さは関係ない気がするんですよ。

クレーの絵もゴダールと同じくらい、
音楽的な想像力(って言うの?)を刺激します。
クレーは、音楽か美術かで迷ったこともあそうだし、
奥さんはピアニストだし、音楽批評家でもあるそうで。
音に対する意識の高さが関係あるのかなぁ、と。

と思ったんですが、イーストウッドやカーペンターは、
自分の映画のサントラを、自身で手がけてしまう人ですから、
ゴダールに比べて音に対する感度が低いわけではない。
つーわけで、結論は無し。